まがいものほど 論投じ 正とする

素戔嗚様からの啓示がありました
今年に入って頻繁なのですが
中々アップできず
すみません
『まがいものほど 論投じ 正とする
人 惑わせども 天地惑わせぬ
改めよ 心許せぬ事
我ら 意としている間に』
 
 【私なりの読み解き】
「まがいものほど 論投じ 正とする」
まがいもの、何をもって
まがいものとするのでしょう
偽物と説くか、嘘と説くか
様々でしょう
私達は「事」により
突発的な嘘や偽り事を無意識とはいえ
繰り返しています
それをとがめているのではないのでしょう
ただ、繰り返せば繰り返すほど
自分の中では真実となり
真実が見えなくなるという事を
懸念して下さっているように思います
「嘘、偽り」のメッセージは
幾度となく受け取っています
人間であるが故、切り離せない行為なのでしょう
神は否定しません
なぜなら真実は心が分かっている事だから
だと言われます
「まがいもの」とは
本物に似ているが本物ではないと
書かれています
つまり、どれだけ語り事実を曲げようと
事実、真実ではないという事でしょう
「人 惑わせども 天地惑わせぬ」
私達は騙されやすいものです
どんなに心がけ注意していても
コロッと騙されてしまいます
人が良いから、単純だからではなく
人は人を信じたい、信じようとする
潜在的に持ち合わせているのです
「神は見てござる」
「天は欺けない」まさにその通りです
人は人を惑わし騙すことは
容易ではありませんが
神様や高次の方々は惑わすことも
騙すことも出来ないのは
火を見るより明らかです
素戔嗚尊様は言われます
「人と我らはひとつである」と
つまり、人を惑わし騙し通しても
結果は同じことで天を欺いたことになると
いう事でしょう
 
 「改めよ 心許せぬ事」
冒頭にお話しした通り
「心」は気付いています
麻痺した感情であろうとも
気付かないはずはないのです
早く正し、心軽やかに生きる事が
望ましいという事だと思います
私達は心と思考の狭間で苦しみます
これは、頭でイメージする筋書きと
心で思う感覚のギャップから生まれます
頭で「こうする方がプラスになる」
と、考えても
心では「それは損得勘定では」などと
反発している事は多々あります
1つであることが望ましい」と
「心で感じよ」と
素戔嗚尊様は言われます
 「我ら 意としている間に」
私達は目に見える見えないに関わらず
沢山の方々に守られています
そんな目に見えない方々の存在を
「いない」ではない事を知っていただきたい
「ない」のであれば
お宮参りも、七五三、厄払い…
神社仏閣は必要ないものとなってしまいます
私達は潜在的にその存在を
知っています
どんなに否定しても分かっているのです
その存在の方々が「気付き」を
与えてくれている間に
正す事が大切なのでしょう
 
 生きていれば
様々なことが起こります
良い事、良くない事
しかし、全て私達に必要な事柄であり
気付きなのです
不幸…自分がそう感じているだけです
幸福…全ての方々のお陰です
自分を騙さない生き方を目指したいと思います

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