『悩みの種は
いつぞや己が蒔いたもの
刈り取るも 己の役目
人に任すは 種蒔く事ぞ』
【私なりの読み解き】
「悩みの種は」
悩みの種とは心を悩ます原因となっていることで
私達は多かれ少なかれ抱えています
仕事の事、家庭の事、人間関係それは様々です
私達の感覚では自分以外の相手が原因で
その相手のことを心配したり先行きを案じたりと
自分には直接関係ないように受け取りがちです
例えば「子供の将来が悩みの種だわ」などと
ある意味そう思う状況であるのならば
それは結果として表面化している現状でしょう
これからの未来を案じるより
そうなった原因に目を向ける必要があるのかもしれませんね
また、「このプロジェクトが成功するか、今一番の悩みの種です」
この場合も同様ですが、今までの過程や
結果からの不安、繰り返すかもしれない
失敗への恐れが見える気がします
「いつぞや 己が蒔いたもの」
その種は時間をかけ自分がし続けた結果としてもたらされます
良い種をまけば、良い結果を生み
悪い種をまけば、悪い結果を生みます
しかし、良い悪いはどの時点でわかるのでしょうか
蒔く瞬間だと思います
その瞬間心がどうであるかで、その種の良し悪しが決まります
では、悪い種(感情的な言動など)を蒔いてしまったら…
それが有難いことにあなた次第で良い芽に変化させる事ができます
心次第です
たとえどんな悪い種であっても良い芽にするのはあなたです
逆にどんな良い種を蒔いても良い芽になるとも限りません
「子供の将来が悩みの種だわ」そうなるよう
種を蒔いたのです 既に結果ですから
誰がでしょう、私達案じている側です
勿論、当事者にも気づくべきところは十二分にありますが
指摘するのではなく、自分の気付きに目を向けたいものです
「刈り取るも 己の役目」
相手の問題と片付けしまっていると、事が大きくなって
直接的に自分の身に降りかかってきます
身近な人だと尚更です
例の子供に関してだと本当に心が痛いと思います
だから、早めに良い芽に変わるよう変化させる必要があります
最近感じますが、心を病む年齢層がどんどん低年齢化しています
これも社会現象でしょうか?
色んな見方はありますが、多く接する方の影響が
大きいように思います
寄り添い、「個」としての尊重と相手にも意志があること
それに対しての柔軟性が大切ではないでしょうか
自分がそうであるように、相手も同じです
「人に任すは 種蒔く事ぞ」
自分の蒔いた種と自分がどう接し、変化させていくか
どんな花を咲かせるか楽しみの部分です
しかし育ちが悪い、弱弱しそう、愛着が持てないなど
種の成長を楽しめず、人に任せるなどと
花の種ならまだしも、大切な相手ならそれは無責任ですね
種(言葉、表情、顔つき、思い、行動…)を蒔いたこと
私達が自身でしたこと
しっかり向き合いたいものです
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