愛は与えるもの

こんにちは

今日は「愛」がテーマのようです

あなたは、どう感じ受け取りますか?


≪直観書記メッセージ≫

『愛は取るものでない 与えるものぞ

与えてこそ 喜びとなる

求める形でない愛を 愛と思えず

受け取る事も 拒む

与えられる 資格などない』





【私なりの読み解き】

「愛は取るものでない 与えるものぞ」

私達は、愛を欲しがります

「愛して欲しい」「好きと言って」

「抱いてほしい」…

相手の時間だけでは物足りず、

心までも欲しがります

もっと、もっとと…

よく、スピリチュアルの世界のお話では

「無償の愛」と表現されます

私達にとってこの「無償の愛」は

永遠のテーマです

現在、存在するとすれば

親子間では可能なのかも知れません

それ以外の対相手との関係性の中で

困難で難しいのが「無償の愛」です

何の見返りも求めず与える愛の事です

ここでの「与える」愛は

「自分がしてあげたいからしてあげる」

この部分の事で、決して見返りを求めては

いけないと言う事ではありません

ただ、この瞬間してあげたい

自分の衝動に対して相手にしてあげたこと

無償の愛とは少々違います


「与えてこそ 喜びとなる」
私達は思考、感情それに伴う行動が連動しています
自分の感情から湧きおこる衝動に対して
自分が満足、喜びを感じる事に対しての
行為である「与える」です
ここで大切なことは、その行動が無償ではなくとも
計算されたものでなく、思いである事です

求める形でない愛を 愛と思えず
私達は…
このタイミングで、こんな愛が欲しい
言葉を欲しがります
しかし、そうではない愛や愛の形、言葉では
満足できず「分かってくれていない」
「愛されていない」と簡単に判断してしまいます
そうではなく、どんな形であれ
相手が自分に対しての思いや行動、言葉を
感謝し、受け取る事が必要であると思います
自分が求める愛、愛の形、言葉、行動以外であっても

相手の与える愛なのです


受け取る事も 拒む
上記がエスカレートすれば、
「そんなものを求めているのではない」
「それはいらない」と、受け取る事もせず
ただ、批判や不平不満を並べたて
あたかも、自分は全て相手を理解していると
感違いまでしてしまいます
相手の心を理解すれば分りそうなものですが
物、金、求める価値観の違いから
馬鹿げた判断をしてしまいます
受け取る事ができなければ、与える事もできません
つまり、最終章が用意されている事に気付きましょう


与えられる 資格などない
改めて思うのは、心であると言う事
目の前の具現化されたものに目を奪われ
本当に見るべき所が見えていない
私はそう思います
本来愛は与えるものです
与えられた愛を受け取れない人は
きっと与える事もしていないのでしょう
自分自身の愛はどうなのか
与える愛なのか、取る愛なのか
心に問いかけて頂きたいです

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