許そうとする心には愛がある

こんにちは
 
寒暖差の厳しい中
 
いかがお過ごしでしょうか?
 
 
 
さて、今日のお問い合わせは
 
『許そうとする心』です
 
「許す」事はとても難しい事です
 
また逆に「許される」ことも
 
信頼関係が崩れ修復にも
 
時間がかかります
 
私の中で良くテーマとなり
 
また、お問い合わせも多い
 
ワードのひとつです
 
 
 
今回のお問い合わせは
 
『相手の裏切り』です
 
「こんにちは、いつも心に留めながら
 
拝見させて頂いております
 
初めての質問ですが…
 
実は信じていた相手から裏切られ
 
心が痛くてたまりません
 
腹立たしさと、悲しさ、私にも非は
 
あると思いますが、どうしても
 
おさまりが付きません
 
でも、許す事が賢明だと分かっています
 
どうか、助けて下さい」
 
 
 
『苛立ちや腹立たしさの治まり』
 
テーマにしても良かったのですが
 
今回は「許そうとする心」にしました
 
彼女の中の声は「許す」方向を
 
向いているからです
 
この「許そうとする心」には
 
「愛」「思い」が詰まっています
 
そもそもそれが無ければ
 
「許そう」などとは思えません
 
だから相手の過ちを何とか理解して
 
消化しようという現れです
 
今、苦しいのは十分わかりますが
 
罪を責めた所で
 
相手も自分自身も傷つくだけなのです
 
何の解決にもならず
 
逆に、思ってもいない逆方向へ
 
事が進みます
 
本心が「許そう」「許したい」
 
ちっちゃな声が聞こえるのであれば
 
「許す」べきでしょう
 
 
 
私達には過去の記憶があります
 
「以前もあった」
 
「また、同じ過ちを」
 
「人間性を疑うわ」
 
しかし、相手がそうしてしまう
 
根っこが解決されていないから
 
繰り返すのです
 
人間にはねっからの悪人はいません
 
そして、人を裏切ったり騙したりして
 
喜ぶ人もいません(一部を除く)
 
ちゃんと罪の意識は芽を出しています
 
でも、根っこが改善させない限り
 
同じことを繰り返してしまうのも
 
人間です
 
 
 
ここで大切なのは
 
相手のせいではないという事です
 
された側にも原因があり
 
した側にも原因があります
 
目に見えている状況では
 
相手が悪いように映りますが
 
実はそうではないのです
 
…「えー!明らか相手が悪いでしょう」
 
…「された側は被害者ですよ」
 
…「なんで、された側が悪いの?」
 
 
 
目に見えている現状は結果です
 
その間の関係性から成り立った
 
結果ですから、した側が加害者で
 
された側が被害者とはならないのです
 
これは三次元のものの考え方です
 
素戔嗚尊様からのメッセージは
 
「共に気付き、反省せよ
 
善も悪もなく、己達の結果ぞ」です
 
つまり、お互い攻め合う事も
 
ののしる事も、苦しめあう事も必要なく
 
自分の立ち位置で反省し許しあう事が
 
大切だと言っています
 
 
 
皆さんも感じて下さい
 
自分の発している言葉には
 
「愛」があるのか?
 
日頃の些細なことが
 
大きな「事」として気付きを与えてくれます
 
いつまでも被害者意識でいると
 
大どんでん返しで泣くことになりますよ
 
つまり、二人の関係性にもよりますが
 
同罪です
 
相手はどうでも良いのです
 
この問題に対して
 
自身が何かに気付き反省する事を
 
おススメします

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