合わさなくてもいい

『合わさぬとも良い

合うものが訪れ 縁になる

手段くわだて 操らぬとも良い事

己 道定める事 まずそれ 一ぞ』


【私なりの読み解き】

「合わさぬとも良い」

私達は何かを始める、

何かしようとする時には

今ある縁をたどり

分かってもらう為に力を注ぎます

今ある縁は古い縁(疎遠になっている)もありますし

始める事柄に必要ない縁もあります

相手も成長と変化していますし

自分自身も同じです

また、以前は波長があった仲でも

今はどうか分りません

だから古いご縁を引っ張り出し無理に合わし、

理解してもらうように働きかけるのは

「今」に反しているのかも知れません


「合うものが訪れ 縁になる」

古いご縁が悪いのではありません

自分のやりたい事に対して

損得抜きで快く賛同してくれ

協力体制がある場合

それは古くても新しいご縁でしょう

人となりを知っている中ですから

再び縁が繋がり、心は感じるはずです

「何か違う」と感じた場合は

疎遠になっていた間の成長と気付きの

過程が違うのでしょう

今の自分の波長に伴い縁はやってきます

古い、新しい関係なしに

絶妙なタイミングでやってきます






「手段くわだて 操らぬとも良い事」

私達は何をするにも手っ取り早く

人の後ろの縁をあてにしたりと計算しがちです

しかし、計算したから上手くいくのではなく

逆に計算なしの方が良い方向へ

進む気がします

「操る」好きではない言葉です

人を利用する事や

自分の夢や目的を代わりに実現してもらうのではなく

自分自身が具現化させるのですから

履き違える事が多いです


「己 道定める事 まずそれ 一ぞ」

何度も受取るメッセージ「道を定める」です

それがなければ、

それがブレれば具現化しません

「こうなりたい」

「こうしたい」

「これ」がはっきりしないうちに進んでも

足が止まり、必要な縁は来ず

惑わされることが増えます

「何を信じるのか」

「どの道を歩みたいのか」

自分が決める事です

誰かが変わりに決めてはくれません

幸せになるのは自分自身です

誰かではなく、自分です


全てのご縁に感謝したいです

良い悪いではなく

全て神様が導いて下さったご縁です

ジャッジしているもの自分です

ニュートラルに、心鎮め

自分の中の声に耳を傾けましょう

きっと答えが見つかります






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