【解説】
この物語は色んな読み解きがあります。
【解説】はホンの参考です。
読み手が感じるままに受取っていただければ幸いです。
どうして「りんちゃん」は「まことくん」に魔法の杖を上げたのでしょう。本来の意味は後ほどとしまして、「りんちゃん」の行為は「あたえる」です。損得を考えるのではなくまず、自ら先に与える行為です。人は何かを与えることに対して必ず見返りを求めます。それが「形」あるなしに関係なく「行為」「もの」「愛」全てに対して見返りを求めるものです。
「見返りを求める」と言う事はその時点で「無償」ではなく「有償」になってしまうのです。そこには必ず与えた方、受け取った方共に「ありがとうがない」など不愉快な思いや、「あげなければよかった」と後悔、「今度はしてもらって当たり前」と連鎖が始まります。
「りんちゃん」にはそんな計算は有りません。あげたいと思ったからあげたのです。
与えた後、相手がどんな反応であろうとも、思い・行動したのは自分自身です。
先を求めないでいたいものです。
「まことくん」は「ただしくん」に釣竿を出してあげた時「なんか少し違う」と感じたのでしょう。誰もが結論を出した後に「これでよかったのかなぁ」「この選択が正しかったのか」と不安になります。
これも「気付き」の1つです。
自分の中にある潜在意識では「違う」と分かっている相違現象です。
顕在意識では「たかしくんが友達になってくれた」と感じとってしまう為、せっかくの「気付き」を打ち消してしまっているのです。
こう言う事は良くあります。
このまま潜在意識を無視し続けると常にモヤモヤが付きまといます。
そして「違うよ!」と気付かせてくれるために問題が起こってくるのです。
「事」が起き何らかの「違和感」を感じた時、それは「気付き」です。「違うよ」と教えてくれているのです。もう一度自分自身の心と向き合って結論を出したいものです。
良かれとした事が裏目に出てとばっちり、よくあります。
この場合「ルミちゃん」から見た「事」と「まことくん」から見た「事」があります。「ルミちゃん」から見た場合は「なくした」という事よりも、「お母さんに叱られる」と言う気持ちが先に立っています。本来の問題「お金なくしたかもしれない」と言う事から問題がすり替わっています。
私達は今までの経験上「こうなるとこうなる」のように方程式を学びます。
それは本当に正しい方程式なのでしょうか?
実は、この方程式は「自己防衛」から成り立っているものです。
小さい頃からいくつもいくつも作り上げているものです。
方程式通りなるともならないとも限らないのに「なる」とかたくなに信じているのです。そこから「引き寄せ」が始まります。
そうなるよう「事」が流れるのです。つまり、強くそうなるように願うからです。
方程式は有りません。「自己防衛」ではなく現実の問題と精一杯向き合うと自ずと良い結果が生まれます。
考えてみて下さい「ルミちゃん」が一生懸命探していると、もしかするとお母さんが追いかけて来て「ルミはそそっかしいわね、お金忘れているわよ。買い物お願いね」「お母さんごめんなさい」で済む予定だったのかも。
「まことくん」から見た場合、「お金」が「もの」に変わっている事が分ります。
たとえ小さな金額でもその「お金」がたどってきた道を考えると粗末には扱えません。私達は「金額」でものを見る傾向があります。
高額なプレゼントなら喜び低額なものには「なんだこんなもの」なんて優劣を付けてしまいがちです。
これは「お金」を「もの」と見ているからです。
その過程や思い、気持ちを見ようとしていないからそう言う見方になってしまうのです。
もちろん「まことくん」は「ルミちゃん」の為を思ってしたことです。でも「もの」と見なかったら一緒に探すという手段もあったはずです。
「お金」は人を惑わせます。
惑わされないためにも本当の価値と言うものを知りたいものです。
「ルミちゃん」の一件で「まことくん」は嘘を重ねていきます。
良い事をしたはずなのに結果はマイナスに流れていきます。
「嘘」は「嘘」を生みます。最初の「嘘」を正さない限り無限に続き、時に沢山の人を巻き込みます。「嘘」から始まったひとつ「事」が解決してもまだ続いているのです。
永遠に止まらないのです。
そこで人は「嘘」になれると「嘘つき」のレッテルを貼られてしまいます。
「嘘」は自分以外の人にはバレテいるのです。気付いていないのは自分だけです。「嘘」には「良い嘘」「悪い嘘」は有りません。どちらも罪です。
そして「嘘」は心の中に重い荷物を背負わすのです。
だから人間関係に大切な「信頼」を築く事はできません。そこをよく理解し「嘘」のない、心の軽い生き方をしたいものです。
「NO
」と言えない
「ただしくん」の何度とない要求を断ることのできない「まことくん」。
私達にも日常茶飯事経験している事です。
相手が「ただしくん」の様なタイプの人には特に「NO」と言いにくいものです。
でも、いつかは「NO」と言わなければならないタイミングが訪れます。
前文の「なんか違う」と同じです。
よく「日本人はNOと言えない」と言われますが、それには二つの見方があります。ひとつは相手の気持ちを考えすぎて言えない場合の心の繊細さです。
日本人特有の「察する」という言葉からも伺えます。
そしてもうひとつはマイナスの結果を想定して言えないと言う事です。
これはある意味「自己犠牲」にも当てはまります。
この「自己犠牲」からは「不満」しか生まれません。
同じ繰り返しをすればするほど身にしみて感じているはずなのに繰り返してしまうのです。「NO」は否定でも拒否でもありません。
そこを勘違いしている場合も多いようです。
「NO」を「私はイヤです」「やりたくありません」と勘違いするから「NO」が言えなくなり、「NO」と言ってからどう思われるかなど考えるのです。
「NO」は「NO」ではありません。
「NO」は「YES」でもあるのです。考えて下さい。
「今の○○に対してはお受けできませんが、△△でしたらお受けさせて頂きます。」いかがでしょう。「NO」が「YES」になるのです。
後は相手にゆだねれば良いのです。
「まことくん」も「みんなで楽しく遊ぶためのものだったら…」不満を感じることはなかったのでしょう。
そして「ただしくん」は本当に自分の事だけ考えていたのでしょうか?「ただしくん」は「ただしくん」なりの世界で誰かの為だったのかも知れません。ただ、威圧的に自分の思いを通すのは間違いです。
お互い価値観も違います。それを含め考えてみたいものです。
何故、仲良しの二人が「けんか?」したのでしょう。
実はこれは「けんか」になっていないのです。
「りんちゃん」は最初の「りんちゃん」から何も変わっていないのです。
変わってしまったのは「まことくん」の気持です。
人は「心」で感じ「頭」で考え「行動」します。
「まことくん」を分析すると「心」では分かっているのです。「りんちゃん」が最初に言っていた「みんなを幸せにしてあげて」。でも「まことくん」なりに色んな壁にぶち当たり「頭」の部分で「どうしていいのか分らない」と言う状態になっているのです。「心」と「頭」が違っているのでモヤモヤ状態。
だから「りんちゃん」に対して「やつあたり」の行動を起こしてしまったのです。
その後の行動はやけっぱちになってしまっています。
あたられた「りんちゃん」も悲しいですが、何よりも「違う」と分かっていながら行動し続ける「心」の状態は苦しいのです。
前文の「なんか違う」を放置してしまった結果です。
「りんちゃん」は何故「まことくん」がくれる物を「いらない」と言ったのでしょう。「他のお友達にはいっぱい出してあげているのに私には…」そんな焼きもちでしょうか?違います。
では、「やつあたり」された事に腹が立って仕返しでしょうか?違います。
「りんちゃん」は「まことくん」の「出してくれたもの」ではなく「心」を見て感じているのです。前文の「NO」と言ったのではなく「NO」の「YES」です。
皆さんも感じて頂けましか?
「りんちゃん」は「魔法で出した物はいらない。だってまことくんの気持ちがないから」機嫌取りで出すものは「NO」なのです。
人は相手の機嫌を伺う行動をとります。
良い反応なら「安心」を感じ、違う反応だと時に「逆切れ」をします。
まさに「まことくん」はそれです。
「りんちゃん」は分かっているのです。「まことくん」の気持ちも苦しい気持ちも分っているからこそ突っぱねてしまったのでしょう。
「りんちゃん」優しさです。
こういう優しさは後にならないと分かってはもらえません。
もちろん分ってほしいからそうしているのでないのでしょう。
私達は表面的な言葉や態度で判断しがちです。
そして、感情的になって言いたくない事も言ってしまいます。
そこには「後悔」と「悲しみ」が生まれます。
何故、そう言ったのか?
どういう思いがそこにあるのかを考えたいものです。
どうして「魔法の杖」折れたのでしょう。
「まことくん」と「ただしくん」が取り合いをして折れたそれも一つです。
「魔法の杖」はそもそも「みんなを幸せにする」魔法の杖です。
この物語では「お花の首飾り」や「靴」「バット」など「もの」で表現されていますが、「言葉」も「行動」も「心」も「愛」も有形・無形かかわらず与えられるもの全てが該当です。
「何故、折れたのか」それはどちらの持ち主に渡ったとしてもその意味を果たさないからです。
今の「まことくん」が持っていても「みんなを幸せにする」ことが出来ないし、「ただしくん」も同じことです。
「魔法の杖」は持主の気持ちが「ピュア」で「無償」でなければ使いこなせないのです。だから折れてしまったのです。
私達も周りから褒められチヤホヤされるとツイ最初の気持ちを忘れ図に乗ってしまい「自分はすごい!」とおごり高ぶってしまいます。これはお山の大将です!
本当に「自分はすごい!」なのでしょうか?
沢山の方々のお陰で生かされている私達です。
その方々のお陰でもあると考えたいものです。
この「魔法の杖」は「まことくん」を大きく成長させてくれました。
「良い事も」「いやな思いも」…。
この「魔法の杖」は私達の中に存在しているものです。
私達は無限の可能性を秘めている素晴らしい「個」です。
「まことくん」はこの「魔法の杖」を持たなくても「人を思いやれる優しい子」です。必要なかったのかも知れません。
ただ、私達は「もの」によって正しい判断が出来なくなるのも事実です。
そして、人との関わりの中で「損」「得」を考えるのも事実です。
しかし、どんな時も自分が自分らしくありたいと思います。
『魔法の杖』は自分の中にあるのだから。
自分自身を信じ、本来あるべき自分の姿に近づける努力をし続ける。
きっと未来は輝きに満ちていると思います。
誰と比較する事無く、ありのままの自分を受け入れることから始まりです。
この物語を通して自分の心の中を覗いて見て下さい。
新しい発見や「よし!やってみよう」と自信が湧いてくるかも知れません。
私達はとても「もろく」「繊細」な心を持っています。
時に失敗や後退することもあると思います。
それで良いのです。
そもそも、失敗も後退もないのですから。
「あなたの道は、あなたの前にある」です。
自分を犠牲にして誰かの道を歩むのではなく、自分の道を自分の足で歩んでほしいと願います。
「大丈夫」
「それで、大丈夫」です。
何よりも、心が少し「ぽかぽか」して頂ける事が一番です。
あなたひとりの心が「ぽかぽか」する事によって
あなたの周りの人たちも「ぽかぽか」心がします。
その縁から地域や社会が「ぽかぽか」します。
そこには「争い」は生まれません。
「受容」「許し」「愛」が生まれるからです。
どうか、そんな世の中になりますように
私達のこの瞬間の為に
そして未来の為に…
著者 中西 里香 (なかにしりか)
制作/発行 Spiritual LINK Style
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小森平/効果音ラボ
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